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そこで、運命的な出会いがあったのです。昭和58年5月9日の朝日新聞に永田先生の農法の記事が載りました。それがきっかけで、外園先生は、永田先生に連絡をとり、出会ったのです。外園先生が人間に対してしていることと、永田先生が植物に対してしていることがとても似ていました。全く異質な分野にたいへんな良き理解者がいたことを知りお互い感動しあったのでした。
成人病の人間も、代謝異常の植物も、もの余りの飽食時代のスポイルされた存在です。食べ物がおかしくなれば、それを食べた人間もおかしくなる。その悪循環がどんどんエスカレートしています。でも、逆に、健康に育った「イキのよい植物」を食べていれば、人間も健康になり、それを、断ち切ることができるはずです。
ところが、生のまま食べられるような安全でおいしい野菜はなかなか手に入らないというのが外園先生の悩みのタネでした。「永田先生の農法の作物こそ私が探しに探しぬいたものです。やっと患者さんに安心してすすめられる本当の”食べ物”を見つけました。」外園先生は永田先生との出会いを心から喜びました。
永田先生にとって暗中模索しながら作ってきた作物が、患者さんの役にたてたのです。りょくけんの野菜・果物を食べて、血糖値がみるみる下がった、体重が急カーブを描いて減った、胃潰瘍が治った、肝機能が回復した、そんな報告がよせられています。
外園先生と永田先生は、「おいしく食べて病気を治す」共同研究を続けました。お互い百の仮説、千の理論より一つの事実が大事という姿勢で素朴な実験を重ねました。どういう米が本当に”生きた食べ物”なのかと発芽実験をしたり、果物が甘いから肥満や糖尿病の人に厳禁というがどうなのか?とブドウ糖と同量の糖分を含むいろいろな果物を食べて各々の血糖値を測定、比較し、データを集めました。何よりも患者さんたちが元気になっている、その事実が「おいしく食べて病気を治す」共同研究を証明しています。
外園先生の療法は、別名「生きエサ療法」というあだ名がついています。先生は、「生きエサ」に対して「死にエサ」ということばを使います。先生の考え方にとって、食べ物が生きているか死んでいるかは、たいへん重要なファクターになるからです。熱処理したり、薬づけにしたり、すりつぶしたり、切り刻んだりすることで、食べ物は「死んで」しまいます。なるべくそれを控え、「生きたまま」食べたほうがよいというのが外園先生の療法の基本なのです。玄米食のこだわるのも、玄米には発芽能力があり、「生きている」からです。そのうえでは、「全体食をする」ということも意味があります。生命体はその全体で一つのバランスをとっていますから、皮をむいたり茎を捨てたりせず、丸ごと食べたほうが生命をとりこめることになります。
くわしくは、外園先生が書かれた本をお読み下さい。
富民協会 「フルーツクリニック」(外園久芳・永田照喜治著)
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